無尽蔵道しるべ礼拝説教神の知恵袋命の糧








孤 独




■孤 独
(聖書個所) 「創世記 28章 1節〜30章21節」

「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 (マタイ18:20)



私たちの生活を敗北させる決定的な病的要素のひとつは孤独です。この孤独とは、物理的に言って一人でいるため感じる孤独ではなく、度を越した自己中心的な生き方をしているために、心の中が淋しい状態になっていることを指すのです。このような人は、他の人に与えるよりも、何時でも与えられる事ばかりを求めます。その結果、他の人の幸福については、まったく無関心です。

皆さん、人がきわめて自己中心になり、他の人の幸福に無関心になると、強情で冷淡な人になります。ですからこのような人は何処へいっても歓迎されません。そして、ますます孤独の中に自分を押し込み、最後には人生の破局に至るようになるのです。

神は、人を孤独に生きるようには造られませんでした。創世記2章18節を見ると、「人が、一人でいるのは良くない。」と記されており、また24節には「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、二人は一体となるのである。」と記録されています。人は二人が共になって一つの単位になります。それゆえイエスは、「天にまします我らの父よ」と祈る様に教えられたのです。

「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるのです。」人たちが集まったからと言って孤独が解消するのではありません。孤独は環境によるのではなく、心の中の奥深くの問題なのです。しかし、二人でも三人でもイエスの名によって集まるなら、主が共に居て下さると言われました。イエスの御名があがめられる所には、何時でも愛があります。

愛がある所には、利己主義や貪欲は、入り込めません。てすから、あなたの心の中から過度な自我中心的な性質を取り除き捨ててしまいましょう。そのままにしておくと、それは毒キノコのようにあなたと隣人の関係を壊してしまいます。それだけでなく、主があなたのそばに居て下さると言う祝福まで失う事になります。

あなたが本当に孤独から解放されたいと願うなら、今日、この瞬間からイエス・キリストの愛を実践しましょう。下着をくれと言われたら上着も与えましょう。兄弟が飢えて渇いていたら食べさせ飲ませましょう。

皆さんがそのように決心して生きるなら、皆さんの孤独は出て行き、その場所に主が入って来て下さるのです。















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04009