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まことの人生の道




■まことの人生の道
(聖書個所) 「創世記 46章 8節〜48章 7節」

「私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、誰一人父の御許に来る事はありません。」 (ヨハネ 14:6)



人生とは、道を探す旅路であると言う事が出来ます。事業をする人は事業を成功させる道、学問をする人は学問の世界で道を求めて模索するのです。

幸いにも正しい道へ入った人は成功しますが、道を間違えた人は失敗します。多くの人は道を間違えて石だらけの道、茨の道、悪い道に入ってしまい、血だらけになって落胆し絶望します。人生の道を失うと言う事は、どれほど悲惨な事かわかりません。

聖書には、人生の道を失った一人の女性についての記録があります。イエスは或る日、サマリヤの井戸の辺に座っておられました。この時一人の女性が井戸の水を汲みに来ました。その女性は5回も離婚して6人目の夫と暮らしていましたが、内面の渇きを解消する事が出来なくて悩んでいました。この事情を知っておられた主は、この女性に会う為にその場所に来られたのです。この女性に、永遠に渇くことのない水を与え様とされたのです。

イエスはご自分がメシヤである事をその女性に教えられました。女性はイエスがメシヤである事を知り、その方が、何処から来て何の為に生き何処へ行くのかを、はっきり教えて下さる方であると知りました。そして彼女は、イエスを救い主として受け入れました。道を間違えて渇いていた女性が、イエス・キリストを救い主として受け入れるとすぐに、天の御国に通ずる明るい道を見出して、絶望や落胆や悲しみから解放されたのです。自分が何処から来て、何の為に生き、何処へ行くのかを知るようになりました。彼女は、自分が水を汲みに来た事も忘れて村へ駆け戻り、会う人毎に、「来て見てください。メシヤが来られました。」と叫びました。

失意に落ちていた女性が変えられて、他の人に自分の喜びを宣べ伝える伝道者になったのです。道であるイエス・キリストを受け入れた為でした。

イエス・キリストは道を案内するお方ではありません。イエス・キリス御自身が道なのです。お金が道であると思ってお金について行くなら、必ず失望します。事業が道であると思ってついて行くなら、絶望するようになり、政治が道であると思ってついて行くなら、罠に落ちてしまいます。

イエスにお仕えしない人生は、成功の様に見えても、失敗です。道であるイエス・キリストを心の中に受け入れる道だけが、まことの道なのです。
















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04016