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万物の根源である神





■万物の根源である神
(聖書個所) 「出エジプト 15章 1節〜17章16節」

「だから、神の国とその義とを先ず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 (マタイ 6:33)




私たちの人生に奇跡をもたらす為には、何よりも先ず万物の根源が神である事を信じなければなりません。私たちイエスを信じる者たちは、たとえ地に足をおいて生きているとはいえ、私たちの根源は天にある事を確実に知らなくてはなりません。ですから聖書は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」(マタイ4:4)と言っているのです。

私たちは、神が天地万物を創造され、祈りの応答は私たちのいのちの源である神から来ると言う事実を、深く悟らなければなりません。このような事実を確信する時、奇跡を体験する最初の段階に入る事が出来るのです。

ダビデは、神の特別な祝福を受けた人であり、奇跡を多く体験した人ですが、彼は、偉大な信仰告白である詩篇23篇1節で、「主は私の羊飼い。私は、乏しい事がありません。」と言う信仰告白をしています。彼は、「私には牧場があって、牧場から出て来る収入で生活をするから、牧場が私の羊飼いです」とは言いませんでした。彼は、神が万物の根源であられ、神からだけ祈りの応答が来る事を知っていましたから、「主は私の羊飼い」と大胆に告白したのです。このような信仰告白を土台として、万物の根源である神が彼の羊飼いとなられ、それゆえにいつも奇跡を体験する事が出来たのです。

今日、聖徒たちの中でダビデのような信仰告白をする人はまれです。たいていの聖徒たちは月給袋や事業所や両親の遺産や、或は政府の助けから、食べ物や生活必需品が出て来ると考えています。それゆえに、経済状態に応じて笑ったり泣いたりします。しかし、このような考えが奇跡をもたらす事はありません。目には何の証拠も見えず、手には捕らえるものがなく、耳には聞こえる声がなく、前途が真っ暗闇であっても、この世を見たり、それにより頼んだりする事なく、ただ神が万物の根源であられるという信仰を持って、主を仰ぎ見、主にだけより頼んで叫び祈る、このような人に奇跡は訪れのです。

今、私たちがなすべき事は、すべての肉体的、物質的な必要を満たして下さる神、万物の創造者であり、万物の根源であられる神により頼みながら、私たちはひとえに、神の国とその義を求める生活をする事です。正にその時、驚くべき神の奇跡が私たちの人生の中に溢れるほどに起るのです。
















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04023