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1月8日


■ 十字架の福音

「マタイの福音書 27章39節〜44節」
27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
27:44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。


こんにち「十字架」は、イエス・キリストの福音を象徴する一つの標識になっています。しかし‘十字架’は、本来ローマで死刑囚を人々の前で公開処刑する時の刑具として、屈辱と苦痛と恐怖を意味するものでありました。

ところが、そのような屈辱と苦痛と恐怖の十字架が、福音とは引き離せない密接な関連がもたれるようになったのは、イエス・キリストの福音の精粋が十字架から出発しているからです。したがって今日は、福音の喜びの知らせが苦難や屈辱や恐怖の十字架とどのような関連があるのか見てみましょう。

イエス様が十字架につけられるようになった背景を見ると、次のようです。アダムとエバが神様の命令に逆らい、エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を食べて犯したことにより、呪いと死が人類に臨むようになりました。しかし神様は、愛であられますので、絶望に瀕した人間を救うために、将来メシヤを遣わすと約束してくださいました。その徴として皮の衣を作られ、アダムとエバに着せてくださいました。

神様の約束通りに、イエス様は聖霊により生まれ、この地に来られたのです。そして、3年半の間、アダムとエバによって人類に臨んだ呪いと死の権力を砕かれるみわざをほどこされました。

 「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)ので、アダムの逆らいによる罪の代価は、死で清算するしかありません。それでイエス様は、人類の罪と咎を代わりに負われ、十字架に釘付けられて,死なれました。そうして、イエス様は十字架の上で人類のすべての罪を贖われただけでなく、サタンのすべての権力を撤廃させてしまわれました。そして、湧き出る命の根元となられました。それで、これからは誰でも、イエス様のところに出て来て、喉の渇きを解消することができるのです。

このように、イエス様の十字架を通して出る喜びの知らせは、「渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶとう酒と乳を買え。」ということです(イザヤ55:1、ヨハネ4:14、7:37〜38)。これは即ち、誰でもイエス様をキリストとして受け入れたら、代価無しに永遠の命を得、信仰と希望と愛が満ちあふれる人生を生きるようになる、という祝福の知らせなのです。




お祈り

屈辱と苦痛と恐怖の十字架が、まことにイエス様が負われた十字架であることを再度、悟るようにしてください。イエス様の十字架は私の罪を贖われ、サタンの束縛から抜け出る事ができる喜びの知らせであることに感謝します。今日も十字架の力の中で信仰、希望、愛が満ちあふれる人生になるように、どうぞ導いてください。  イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン。