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1月10日


■ 五つのパンと二匹の魚の奇跡

「マルコの福音書 6章41節〜44節」
6:41 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
6:42 人々はみな、食べて満腹した。
6:43 そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
6:44 パンを食べたのは、男が五千人であった。


バプテスマのヨハネが殺された後、イエス様が荒野に出て行かれると、数多い人々が集まって来て主の御言葉を聞きました。ところが、主の御言葉が終わる頃には、もう日暮れになっていたので、主はピリポを呼び、「あの人たちに何か食べるものを上げなさい。」と言われました。その時、ピリポは「二百デナリ分のパンを買っても、あの多くの人々を食べさせるには足りないです。」と否定的な答えをしました。

 しかし、隣にいたアンデレは、五つのパンと二匹の魚を持って主の前に出て来ました。イエス様はその五つのパンと二匹の魚を取り、祝福されてから、すべての人々が満腹してからも十二のかごに余りが残る奇跡を施されました。私たちはここで、次のような教訓を得ることができます。

まず、私たちは神様を資源としなければならないと言うことです。ピリポとアンデレはみな同じく主の弟子でありましたが、二人の考え方は全く異なっていました。ピリポは、人間の経験と知識と理性を資源とした結果、何もすることができませんでした。しかし、アンデレは無限であられる神様を資源としたために、「群れに食べ物が与えることができる」という信仰を持って、五つのパンと二匹の魚を持って来ました。ここで、信じる者と信じない者の差異が現われます。

 また、私たちは主に種を蒔けなければなりません。この世の法則に、「豆を蒔いた所に豆が生え、小豆を蒔いた所に小豆が生える」のと同じく、霊的な世界でも、蒔いたものがあってこそ、刈り入れることができるようになります。これに関して聖書は、『思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。』(ガラテヤ6:7と記録しています。神様は、アンデレの信仰の種である五つのパンと二匹の魚を通して、驚くべき奇跡を施してくださったのです。

私たちは神様の奇跡を期待しなければなりません。ピリポは奇跡を信じない人でありました。主はこのような弟子をお叱りはしませんでしたが、彼と供に働かれることはなさいませんでした。反面、アンデレが主の御力を信じて差し出した五つのパンと二匹の魚に祝福されて、そこに集まった群衆が腹いっぱいに食べてからも残りが十二のかごにもなる奇跡を施されました。

この事件は、こんにち、私たちに奇跡をもたらす法則を教えてくれています。私たちが先ず、神様に信仰の種を蒔き、神様の奇跡を期待する信仰を持つとき、私たちの人生の中に驚くべき五つのパンと二匹の魚の奇跡が現れるようになるのです。




お祈り

何を食べるか、何を飲むか、と心配する世の中で、五つのパンと二匹の魚の奇跡を施されたイエス様を主として受け入れるようにしてくださり、有り難うございます。私たちの人生の中で起きる奇跡のために、主にあって蒔いた種が何であるかを考え、神様の奇跡を期待する一日であるようにしてください。 イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン。