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2月15日


■最も甘い水の材料は最も苦い水

「出エジプト記 15章22節〜25節」
15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。




イスラエルの民たちは奇跡的に紅海を渡った後、もうこれ以上は問題がないと思いました。ところが、砂漠の道を通る彼らに喉が渇く問題が起こりました。三日間、喉が渇いて苦しんでいた彼らはやっと水を見付けましたが、水が苦くて飲むことができないと知るや、絶望に落ち込み、モーセを恨みました。それでモーセが祈った後、神様が示された一本の木を水に投げ入れたところ、苦い水が甘い水に変わり、人々は喉の渇きを癒すことができました。この話は、荒野のようなこの世の中を生きる私たちに、問題の解決に対する教訓を与えてくれます。今日は、この「マラの苦い水」が与える教訓について勉強したいと思います。

まず、私たちは素晴らしい神様を人生の絶対的な資源としなければなりません。こんにち、あまりにも多くの人々が物質と名誉と権力を人生の源泉として生きています。このようなものは草のように枯れ、花のように萎れる一時的なものであり、人生の問題を完全に解決してくれることができません。しかし、神様を人生の資源として生きたら、どのような状況にあっても問題の解答を得ることができます。マラの苦い水が甘くなったのは、モーセが神様の命令に従順に聞き従ったからでありました。

また、私たちはいつも問題の中にもっとよい人生になる機会が隠されていることを信じなければなりません。私たちに問題が生じた時、その問題を信仰で乗り切り、消化してしまったら、問題はかえって偉大な祝福に変化されます。その問題は神様が送られた仮面に過ぎませんから、その仮面を剥がしたら、神様の祝福が現われるのです。ですから、問題には必ず解決策があり、問題解決の後にはもっとよい人生の祝福が近づいて来る、ということを信じなければなりません。

更には、問題の解答は最も近い所にあるということを知らなければなりません。祈る人には解答が目に見えるのです。モーセが神様に祈るや、神様は近くにある木の枝を一つ取るようにされて、苦い水を甘くするようになさいました。私たちに問題が生じた時、その場にひれ伏して祈ったら、神様はその問題を祝福の材料に変えてくださいます。

従って私たちは、問題の中にもっとよい機会が隠されていることを悟り、さらには「最も甘い水の材料は最も苦い水である」という教訓を忘れてはなりません。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様!神様の御言葉に従順に聞き従うことによって、素晴らしい神様を人生の資源にすることができるように導いてください。環境に襲ってくる問題に気落ちせず、信仰で勝ち抜き、神様のもっと大きな祝福を受ける私たちとなるように助けてください。私たちの家庭の苦い水が何であるかを悟り、甘い水に変えてくださる主の御業が臨むようにお恵みを施してください。 イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!