■感謝する人になりましょう
「レビ記 7章11節〜15節」 7:11 主にささげる和解のいけにえのおしえは次のとおりである。
7:12
もし、それを感謝のためにささげるのなら、感謝のいけにえに添えて、油を混ぜた種を入れない輪型のパンと、油を塗った種を入れないせんべい、さらに油を混ぜてよくこねた小麦粉の輪型のパンをささげなければならない。
7:13 なお和解のための感謝のいけにえに添えて、種を入れた輪型のパンをささげなさい。 7:14
そのうちから、おのおののささげ物の一つを取って、主への奉納物として、ささげなければならない。これは、和解のいけにえの血を注ぎかける祭司のものとなる。
7:15 和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。
西洋人たちは、些細な親切にも“有り難うございます。感謝します。”という言葉を連発します。ところがわが国の人たちは、大いに親切をほどこしても、感謝することに慣れていません。このような表現の差異は、文化的な差異から来るものです。西洋人たちは、キリスト教文化の影響で感謝する生活に慣れているのです。聖書に、『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケ人への手紙第一5:18)と記録されています。
それでは、なぜ、私たちが感謝する生活をしなければならないか、を考えてみようと思います。
まず、私たちが感謝する生活をしなければならないのは、それが神様の望んでおられることだからです。「すべての事」とは、良い事も、悪い事もすべてが含まれています。それで、自分の利益になっても、損になっても、私たちは感謝しなければならないのです。良き神様は、「永遠」という尺度で私たちを測られますので、たとえその場では、私たちには難しく、苦しい事であっても、終局的には私たちにすべてを働かせて益としてくださいます。
ですから、私たちは「良い事」は良いから感謝しなければならず、「悪い事」は、終局的に良い事にしてくださる事を信じて、感謝しなければなりません。
そして、私たちが神様に感謝しなければならないのは、神様が私たちに天国への道を開いてくださったからです。こんにち、生活水準が向上されて、連休になったら遊園地とか、名勝地に行く人たちで駅やバス・ターミナルが混雑します。それで遊びに行くのではなく、苦しみに会うために行くような印象を受けもします。それでも、人たちがその苦労を物ともしないのは、少し後には目的地に到着して楽しい時間を過ごす事ができるからです。
同様に、主を信じる私たちには、神様が造られた新しい天と新しい地があるのですから、この世での人生が骨が折れ、苦しくても、これを充分に克服しながら生きて行く事ができ、この天国への希望があるのですから、私たちはいつも神様に感謝しなければならないのです。
それだけではなく、私たちがこの世で旅人や居留者のように暮らしても、神様が私たちを顧みてくださり、守ってくださいますから、感謝しなければなりません。ダビデは、『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。』(詩篇23:1)と、神様を賛美しました。
私たちの羊飼いであられる神様は、私たちに衣食住に必要なすべてのものを満たしてくださるだけでなく、聖霊を遣わされて私たちと共に居るようになさり、私たちを保護してくださるのです。ですから私たちは、生涯を通して絶えず神様に感謝する生活を営まなければならないのです。
お祈り
聖く、愛であられる、わが父なる神様!
今日も、感謝する生活をしようと決心して一日を始めました。守れるように助けてください。環境はいつも、私たちが否定的に眺めるようにし、不平を言うようにしますが、このような事がないように導いてください。
全知全能であられる、わが天のお父さま!
『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』と仰せられた御言葉を、忘れる事がないように助けてください。今日は一日、本当にすべての事に感謝する姿勢で暮らす事ができるように導いてください。
イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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