■ 神から離れた人間の実像
「レビ記 24章15節〜16節」 24:15
あなたはイスラエル人に告げて言え。自分の神をのろう者はだれでも、その罪の罰を受ける。 24:16
主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺される。
救いの福音を受け入れる人には、その人の中に神様の義が現れて、信仰に至るようにします。しかし神様の福音を受け入れず、神様の義を受け入れない人たちには、神様の激怒が臨むようになります。それでは、神様を信じもせず、栄光をお帰しすることもせず、感謝することもしない人たちは、どのような状態に置かれるようになるでしょうか?今日の御言葉を通して、神様から離れた人たちの実像がどういうものであるかを勉強したいと思います。
第1番目に、神様から離れた人たちは偶像崇拝の汚れに溺れるようになります。自然万物は、神様の生きておられることを証明し、神様の御力と神聖を映してくれる鏡の役割をします。そうなのにも、人たちは神様に栄光をお帰しし、賛美することよりは、偶像や邪神を拝み、権力とかお金を偶像としてそれらに仕えます。また人たちは、自分の中に神様を知ることができる根拠として与えてくださった良心があるのにも拘わらず、良心の声を聞かず、神様に逆らっています。それで、アダムとエバ以後、悪魔の声に聞き従った数多い人たちが偶像崇拝の汚れに溺れるようになりました。
第2番目に、神様から離れた人たちは、淫乱の罪に陥るようになります。私たちが心を尽くして神様を捜し求めたら、神様は、絶対に私たちを見捨てるようなことはなさいません。しかし、人たちが心の中心に神様を迎え入れることを嫌がったら、神様も私たちを肉の欲、目の欲、この世の自慢を追求しながら暮らすように、捨て置かれます。それで神様から離れた人たちは、罪の本性に従って淫乱と汚れに溺れて放蕩する生活をするようになるのです。
第3番目に、神様から離れた人たちは、義に背く色々なことを仕出かすようになります。不義を犯し、醜悪なことを平気でするだけでなく、他人を陵辱したり、殺人をも犯し、悪を図り、冷酷で無慈悲なことをしてのけます。それだけではなく、このような人たちは罪を犯す人たちを正しいと思います。これが、神様から離れた人たちの実像なのです。
聖書には、大小に拘わらず「罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙6:23参照)と記録されています。このような罪と死の勢力から私たちを救い出すことができるのは、誰でしょうか。ひとえにイエス・キリストしかいません。イエス様は、神様から離れて失望と挫折と罪責の苦しみの中にいる人たちに向かって、両手を広げて、「わたしのところへ来なさい。」と招いておられます。このお招きに応じたら、誰でも、汚れと醜悪な罪の荷を下ろし、キリストの義の衣を着て神様の前に大胆に出て行って、永遠の命の祝福を得ることができるようになるのです。
お祈り
愛であられ、聖き、わが父なる神様!
神様から離れて暮らすすべての人たちは、罪悪の中で暮らすしかなく、その罪の報酬として死に至るという真理を悟らせてくださって、有り難うございます。こんにちも、神様は救いの門を大きく開いて、「わたしのところに来なさい。」と招いておられる、その愛に心から感謝申し上げます。私たちの家族が皆、醜悪な罪の荷を脱ぎ捨てて、神様の前に大胆に出て行けるように助けてください。
イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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