前へ    次へ

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月


2006年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
             


3月3日


■目に見える信仰と十分の一

「レビ記 27章30節〜34節」
27:30 こうして地の十分の一は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。
27:31 人がもし、その十分の一のいくらかを買い戻したいなら、それにその五分の一を加える。
27:32 牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。
27:33 その良い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。もしそれを替えるなら、それもその代わりのものも共に聖なるものとなる。それを買い戻すことはできない。」
27:34 以上は、主がシナイ山で、イスラエル人のため、モーセに命じられた命令である。




数多くの人たちが、信仰は神秘なものであり、目に見えないのでその大きさを知ることができない、と言います。しかし信仰は、私たちの行為から確かに見ることができます。それで、神様は私たちに‘見ることができる信仰’を絶えず要求しておられるのです。それでは、環境を支配することができる‘生きた信仰’すなわち、‘見える信仰’を神様の前にどようにしたらお見せすることができるでしょうか。

 まず、宇宙と万物を神様が創造なさった、という事実を口に出して認めなければなりません。最初の人・アダムが、神様が創造なさった宇宙と万物を見渡しながら、神様の主権と統治と愛を感じながら過ごした時には、神様が彼に限りない祝福を注いでくださいました。しかし、アダムとエバが神様に不従順し、逆らうや、物質と生活に関する支配権を失ってしまいました。不従順によって失った支配権を再び回復するには、神様が創造主であられることを口に出して認めなければなりません。そうして、私たちが創造の秩序の中に入っていく時、神様は再び、私たちに環境を支配する権威を与えてくださるのです。

また、創造主であられる神様がイエス様を通して、私たちを神様の子として証印を捺してくださったという事実を、口に出して認めなければなりません。イエス様は、神様の義なる御心を成すがために人間のすべての罪を背負って、十字架に架かられました。そして、私たちを覆っているすべての呪いをみな取り除いてしまわれ、環境を支配する神様の子としての権威を与えてくださいました。ですから、私たちはこの事実を口に出して認めなければなりません。これが、まさに‘見える信仰’なのです。

さらには、十分の一と各種の奉納物を神様に捧げることによって、信仰をお見せすることができます。農夫が秋になって収穫を得るためには、春頃に種を蒔かなければならないのと同じく、霊的な法則にあっても、信仰の種を蒔いてこそ、刈り取りをすることができます。信仰の種は、まさに‘十分の一と奉納物’です。神様は、十分の一と奉納物は神様のものである、と言われました。完全な十分の一を信仰の種として蒔いたら、「天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐ」(マラキ書3:10参照)と約束なさいました。

このように、信仰とは神秘なベールの向こう側に隠されているのではなく、私たちの行動を通して目に見えるのです。私たちが信仰をお見せする時、神様は私たちの見える信仰の上にみわざを働かせて、世を支配する権威を与えてくださり、溢れるばかりの祝福で満たしてくださるのです。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様! 宇宙万物を造られ、イエス様を通して神様の子として証印を捺してくださって、有り難うございます。毎日、私たち共家族全部が、神様に信仰をお見せすることができるように助けてください。信仰の種である十分の一と奉納物を神様に捧げることによって、私たちの家庭が神様中心の生活を営んでいけるように導いてくださり、家族が全部、神様のお恵みの中で生きて行くように祝福してください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!