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3月11日


■贖罪のために流されたイエス様の血潮

「民数記 29章7節〜11節」
29:7 この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。

29:8 あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。これらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。

29:9 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。

29:10 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。
29:11 罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは贖いのための罪のためのいけにえと、常供の全焼のいけにえ、それにつく穀物のささげ物と、これらにつく注ぎのささげ物以外のものである。




旧約時代には、イスラエルの民たちが罪を洗い落とすために、やぎと雄牛の血、雌牛の灰を不浄な人に振りかけることによって体を清め、聖くなるようにしました(ヘブル人への手紙9:13参照)。ところが、イエス・キリストはご自分を神様にただ一度捧げることによって、永遠の贖罪を成し遂げられました(ヘブル人への手紙7:27、9:12、28、10:10参照)。それでは、私たちの罪を贖われるために流されたイエス様の血潮は、どのような力があるのでしょうか?


イエス様が、ゲッセマネの丘で祈られる時に流された血は、“従順の血”でありました。イエス様がゲッセマネの丘で、「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカの福音書22:42)と祈られる時、「汗が血のしずくのように地に落ちた。」(ルカの福音書22:44)と、聖書に記録されています。イエス様はこのように、切に“神様の御心が成されるように”祈られたのです。


私たちはたまに、神様の御心に従って祈り求めるよりは、自分の欲に従って祈り求める時が少なくありません。神様の御心には関心がなく、自分の欲を成就しようとすることに血眼になることも良くあります。このような人生は自己中心的であり、不信仰であり、不従順の人生です。私たちは、イエス様がゲッセマネの丘で流された血潮に拠り頼んで、「私を砕いてください。神様の御心とおりに生きるように助けてください。」と祈る時、信仰と従順の人生、神様中心の人生を生きて行くことができるのです。


また、十字架の上で流された主の血潮は、「罪の赦しの血潮」でありました。聖書は、『それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。』(ヘブル人への手紙9:22)と記録しており、『兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。』(ヘブル人への手紙10:19)と言われているのです。従って、私たちはイエス様が十字架に釘付けられて流された血潮に拠り頼んで、罪の赦しを受け、大胆に神様の前に出て行くことができるのです。


そして、イエス様がピラトの庭で流された血潮は、“癒しの血潮”でありました。「イザヤ書53章5節」に、『彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』と記録されているのです。私たちは、イエス様がピラトの庭で鞭に打たれて流された血潮に拠り頼んで、疾病を癒してください、と強く主張することができます。


さらに、イエス様がいばらの冠に刺されて流された血潮は、“祝福の血潮”でありました。いばらの冠は、呪いを象徴します。イエス様は刺の冠を被せられて血を流されることにより、私たちの否定的な思考、貧困意識、劣等感などのような心の呪いと、環境的呪い、律法の呪いから贖い出してくださいました(ガラテヤ人への手紙3:13〜14参照)。


ですから私たちは、イエス・キリストの血潮に拠り頼んで呪いを追い出し、アブラハムへの祝福をくださいと主張することができるのです。




お祈り

聖く、全知全能で、愛であられる、わが父なる神様!イエス様が、ご自分をただの一度神様に捧げ、その尊い血潮によって私たちの罪を贖ってくださり、この世のあらゆる呪いを私たちが追い出すことができるように恵んでくださって、有り難うございます。今日、格別に祈り求めます。私たち家族の霊とたましいと体が、きれいに癒され、アブラハムに与えてくださったすべての祝福を、私たちにも与えてください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!