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4月7日


■キリストによる幸福

「ローマ人への手紙 14章:17節〜20節」

14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。




人は、誰もが幸福でありたいと願います。しかし富貴栄華を享受しながらも幸福でなく、不幸な毎日を暮らしている人たちが少なくありません。私たちはどのようにしたら、まことの幸福を得ることができるでしょうか?


幸福は、義を通して得ることができます。義がないところに幸福はありません。アダムとエバがそうでありました。神様の保護のもとに、言うにいえない満足と幸福を享受していた二人は、悪魔の囁きによって貪欲が入ってくるや罪を犯して、即時、義を失い、裸である羞恥を感じるようになって、神様を恐れ、木の間に隠れました。このように、義がなくなったところには決して幸福は存在することができません。私たちがイエス様の前に出てきて、主の血潮によって罪が洗い清められ、義とされる時に、はじめて幸福になれるのです。


また幸福は、心の平安を通して得られます。黄金を山のように持っている人だとしても、心の中に平安がなかったら幸福であることはできません。それでは、どのようにしたら心の平安を得ることができるでしょうか?心の平安は、私たちが神様と和解した時に得ることができます。イエス様は、神様と私たちとの和解のために供え物となられました。従って、私たちは和解のいけにえとなられたイエス様に拠り頼む時に平安を享受するようになるのです。


さらに、私たちの心の中にまことの喜びがある時、幸福を享受するようになります。この世で得る喜びは、草は枯れ花は萎れ落ちるのと同じく、たやすく消え去ってしまいます。それで、この世で最高の栄華と富貴を享受したソロモンも、『空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。』(伝道者の書1:2)と、嘆いたのです。ところがこの世の喜びとは違って、虚無を抱かすことがない喜びがあります。それは実に、イエス様を信じる時、神様の恵みによって注がれる喜びです。イエス様の霊であられる聖霊さまは、喜びの泉なのです。


私たちは毎日、聖霊さまと同行することによっていつも、心に義と平安と喜びが満ち溢れるクリスチャン、それで幸福なクリスチャンとならなければなりません。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様!イエス・キリストにあって、まことの幸福を得ることができるようにお恵みをほどこしてくださった神様に、心より感謝申し上げます。十字架に架けられて神様と人間との和解のいけにえとなられ、その尊い血潮で私たちを洗い清めてくださり、義としてくださったイエス様に感謝申し上げ、賛美を捧げます。我ら家族一同が、皆まことの幸福を享受し、お隣とは主の愛と主のまことの喜びを分かち合い、主のお喜びにあずかる毎日を生きて行くように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!