■謙遜な人
「コリント人への手紙 第一 1章:26節〜29節」
1:26
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
1:29
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
こんにち、20世紀の文明の中で生きている人類は、各分野で自分が積み上げた功績と自慢に酔って高慢に振舞っています。甚だしくは神様のお恵みによって救われた人々までもが、祝福していただいてすべてに幸いを得るようになったら、神様から離れ、高慢になるのを実際に見ることができます。しかし聖書は、『人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。』(箴言18:12)と警告しています。それでは、私たちがどうしたら謙遜になれることができるでしょうか?
まず、私たちは神様の前で決して高慢に振舞ってはならない存在である事実を悟らなければなりません。高慢な人は自己陶酔に溺れて自分を誇大評価する人であり、自分の分際を飛び越えて考え、行動する人です。愚かにもアダムとエバは、自分たちの分際をわきまえずに高慢におちいって、神様が禁じられた善悪の知識の木の実を取って食べました。その結果、エデンの園から追い出され、呪いと疾病で死ななければならない運命に置かされるようになったのです。ですから、人間は創造主ではなく、あくまでも神様が造られた被造物であることを悟り、神様の前で謙遜に行動しなければなりません。
次は、神様が私たちを低くなさる時に、従順に聞き従わなければなりません。神様が用いられる人は、砕かれた人です。私たちが他人より優秀であると思う考えを神様が無残に砕かれる時、私たちは頭を下げて謙遜に従順しなければなりません。なぜなら、私たちが徹底的に砕かれてこそ、神様が私たちをご使用なさることができるからです。
それだけではなく、神様が私たちを高めてくださる時、私たちは謙遜の帯をきつく締めなければなりません。神様はイスラエルの民たちを選民として選択なさいましたが、彼らが高慢に振舞う時、情け容赦なく審かれました。人は、自分が他人より足らないと思う時には謙遜になることができます。しかし、自分の地位が高くなり、裕福になり、尊敬される身分になったら、いつの間にか心が高ぶって人たちを見下げるようになり、蔑視するようになります。
聖書は、『ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。』(コリント人への手紙 第一10:12)、また『主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。』(ヤコブへの手紙4:10)と記録しています。従って、神様が私たちを高めてくださる時、私たちは益々謙遜になって、神様の変わりがない愛をいただき、認めていただく聖徒とならなければならないのです。
お祈り
全知全能で、愛であられる、わが父なる神様!イエス様は、謙遜の模範であられます。私たちが皆、神様の前でどういう存在であるかを悟るように助けてください。罪によって死ぬしかなかった私たちは、神様のお恵みによって救われた者となった事をはっきりと覚えるように導いてください。私たち家族一同が皆もっとへりくだり、心から神様に仕え、お隣にも仕える者となるように助けてください。そうしてますます神様から用いられる者たちとなるように祝福してください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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