■安息に入る道
「ヘブル人への手紙 4章 7節〜11節」
4: 7
神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。
4: 8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。 4: 9
したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。 4:10
神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。 4:11
ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
神様は、イエス・キリストを信じるすべての人は安息に入るようにすると約束なさり、神様ご自身が親しく、創造の御働きの七日目に休まれることによって、これを例示なさいました。この安息の時は、神様が私たちのためになさるすべてが完成される時であり、完全な平安の時です。その時には、より以上の恐れと心配や苦しみがなく、神様が与えてくださる平安だけが溢れるようになります。
これに対して使徒ヨハネは、『そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』(ヨハネの黙示録21:3〜4)と言いました。
ところが、神様の選ばれた民であるイスラエルの民たちは、神様の安息に入る機会を逃してしまいました。なぜかと言えば、彼らは荒野の生活をしている間、彼らの心をかたくなにしたからです。これと同じように、私たちも、私たちの心を見守ることができずに、かたくなにしたら、神様が与えてくださる安息の祝福を享受することができなくなります。
ですから、私たちが神様の安息に入って祝福を享受するためには、御言葉と聖霊で満たされて、私たちの心を守り、永遠の安息を享受する日を慕いながら待ち望み、最後まで神様に従順に聞き従う信仰の人生を生きて行かなければならないのです。
お祈り
私たちの永遠なる安息であられる神様!イスラエルの民たちは、荒野の生活の間、心をかたくなにして神様が備えて置かれた安息の地であるカナンの地に入ることができませんでした。
愛であられる神様!
私たち家族の者たちの心の中からかたくなな心を取り除いてくださり、神様の安息に入って行けることができるように、御言葉と聖霊で満たされ、すべてに従順に聞き従う信仰を持って、勝利の毎日を暮らして行けるように助けてください。
イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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