前へ    次へ

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月


2006年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
             


5月8日


■逃れの町

「ヨシュア記 20章:1節〜6節」

20:1 主はヨシュアに告げて仰せられた。
20:2 「イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、

20:3 あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。

20:4 人が、これらの町の一つに逃げ込む場合、その者は、その町の門の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは、自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む。

20:5 たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはならない。彼は知らずに隣人を打ち殺したのであって、以前からその人を憎んでいたのではないからである。

20:6 その者は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいは、その時の大祭司が死ぬまで、その町に住まなければならない。それから後、殺人者は、自分の町、自分の家、自分が逃げて来たその町に帰って行くことができる。」




神様は、約束の地全域に六つの‘逃れの町’を定めなさい、とヨシュアに命じられました。逃れの町は知らずに人を殺した者たちが、復讐をしようとする犠牲者の家族から逃れ、身を隠すことのできる場所です。イスラエルはこの制度を通して、家族の間で血の復讐が繰り返される弊害を防ぎ、義が支配する共同体になることができました。


また、逃れの町の中では、外国人であっても裁判を受けないことには攻撃を受けるとか、殺害されたりしませんでした。このように逃れの町の制度には、神様の慈しみと公義が現われています。


自分が害をこうむったと思う人々は、全ての事実が明らかになることを待たずに、しばしば軽率な過ちを犯したり、感情をむき出しにして復讐に走り、復讐の悪循環の種を作ったりします。一方、公義で公正な処罰は、全てをご存知の神様だけがなさることができます。ですから私たちは、あらゆる復讐を神様にゆだねなければなりません。


逃れの町として区別された場所は、レビ人たちに与えられた町から選ばれました。この選択は、とても重要な意味を持っています。レビ人たちは、神様に献身した人たちでありました。従って彼らは、神様の公義と慈しみを切に求める人々に与えられた逃れの町を、必死的に守ったに違いありません。


それなら、果たしてこんにちの逃れの町はどこでしょうか?イエス様の血潮で建てられた教会が、まさに逃れの町なのです。ですから教会は、そこを訪れる人々に神様の愛と慰めを与え、助けてあげる愛と公義の産室とならなければならないのです。




お祈り

慈しみ深い、わが父なる神様!イエス・キリストを通して私たちのすべての罪を赦してくださり、主の御翼の下に抱きいれ、保護してくださって有り難うございます。私たち家族一同が、感情に走って、悪い隣人に対敵せずに、主の愛と寛容で彼ら抱擁する人生を生きることができるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!