■神様の絶対主権に自分を委ねたダビデ
「サムエル記 第二 15章:24節〜26節」 15:24
ツァドクも、すべてのレビ人といっしょに、神の契約の箱をかついでいたが、神の箱をそこに降ろした。エブヤタルも来て、民が全部、町から出て行ってしまうまでいた。
15:25
王はツァドクに言った。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。
15:26
もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない。』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」
アブシャロムが謀反を起こし、ヘブロンで自ら王になったということを聞いたダビデは、彼の家来たちといっしょにキデロン川を渡り、荒野のほうへ急いで逃げました。エルサレムから出て来るとき、祭司ツァドクは、すべてのレビ人といっしょにエルサレムから神の契約の箱をかついで出て来ました。
しかし、ダビデは、祭司ツァドクにこのように言いました。『王はツァドクに言った。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない。』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」』(25節〜26節)
ここで見ますと、祭司ツァドクとダビデ王の態度が対照的です。祭司ツァドクは、神の箱が自分たちの陣中にとどまっていたら、神様が共にいてくださって、アブシャロムとの戦争で勝利を収めることが出来る、と思いました。しかしダビデ王は、アブシャロムとの戦争それよりは、神様の御心がどうであるのか、にもっと関心がありました。
ダビデは、ひたすらに神様がすべての事情を公義によって判断されることを願い、神様が公義に基づいて行われることを信じました。彼は、神様が自分を捨てることに決められたならば、そのとおりになるだろうし、反対に神様がお恵みをほどこしてくださったら、エルサレムに戻って、神の箱を再び見るようになるはずであると確信していました。
ダビデは、戦争は神様に属したことであり、神様は絶対主権的な意志を持って判断なさり、御心の通りに行われる、という真理をすでに数え切れないほど体験していたのです。それで、彼はこのような難しい状況の中に置かれていながらも、自分を完全に神様にお委ねすることができたのです。
私たちは時に、神様の主権にお委ねるよりは、自ら解決しようとしてから失敗する場合が少なくありません。ダビデ王のように、難しく、苦しい状況の中に置かれている時でも、神様の絶対主権にお委ねする信仰を持つようにならなければならないのです。
お祈り
絶対主権者であられる、わが父なる神様!
神様がすべてのことをなさり、私たちを真理の道に導いてくださって有り難うございます。どうか、私たち家族の者たちがいつも、何事でも、すべて神様の絶対主権にお委ねしながら、勝利の毎日を暮らして行けるように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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