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6月14日


■神様の公義

「ヨハネの黙示録 16章 5節〜7節」
16: 5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「常にいまし、昔います聖なる方。あなたは正しい方です。なぜならあなたは、このようなさばきをなさったからです。
16: 6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは、その血を彼らに飲ませました。彼らは、そうされるにふさわしい者たちです。」
16: 7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ。万物の支配者である神よ。あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」




神様はこの世の人々の不義と罪に対して怒りを発せられ、必ず審かれる公義の神様であられます。それにもかかわらず、神様は悪者たちを直ぐに罰せられるのではなく、悔い改める機会を与えてくださいます。しかし、最後まで悔い改めず、罪を犯したら、審かれます。このような神様の公義の審きに関する内容は、聖書の中に何箇所も記録されています。

旧約聖書を見ますと、神様は罪と不義に対しては必ず審かれたことを知る事ができます。アダムとエバは罪を犯した結果、霊が死に、捨てられる審きを受けました(創世記 3章参照)。ノア時代の人々は神様に逆らって、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢に従って勝手に暮らしたので、神様の審きを受けました(創世記 6:5〜7、7:17〜23参照)。一方、不品行に溺れ、放蕩し、偶像を礼拝したソドムとゴモラも、火と硫黄で審かれました(創世記 18:20〜21、19:24〜25)。また、神様は、選ばれたイスラエルと言えども、神様から離れ、偶像を礼拝したときには、異邦人の捕虜となって引っ張られて行くようになさり、神様の聖殿であっても破壊してしまわれました。

神様は、罪人である私たちを罪から救われるために、ご自分のひとり子、イエス・キリストに全人類の罪を負わせ、十字架に釘付けて審かれました。

こんにち、神様を否認し、逆らい、聖徒たちをさげすみ、迫害する人たちの中に、この世で富貴と栄華を得、健康で、長生きする人もいます。彼らはあだかも神様の審きがなく、この世が千年万年継続するものと思い、高ぶりながら生きています。彼らを見るとき、本当に憐れみを禁ずることができません。

聖書は、『悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。』(詩篇37:9〜10)と記録しているのです。

ですから、いつも善に親しみ、神様に拠り頼む人こそ、もっとも幸いな人であり、神様の報いと賞賛を受ける人であるのです。




お祈り

公義であられる、父なる神様!

世の人々は神様に逆らい、暮らし向きの自慢に酔って生きております。しかし、神様は、罪に対する審きは必ずあると、仰せられました。私たちの人生がいつも、善に属し、公義の神様の御前で正しく生きて行くように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!