■信仰は初めより終りが良くなければならない
「歴代誌 第二 24章:20節〜22節」 24:20
神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。「神はこう仰せられる。『あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」
24:21
ところが、彼らは彼に対して陰謀を企て、主の宮の庭で、王の命令により、彼を石で打ち殺した。 24:22
ヨアシュ王は、ゼカリヤの父エホヤダが自分に尽くしてくれたまことを心に留めず、かえってその子を殺した。その子は死ぬとき、「主がご覧になり、言い開きを求められるように」と言った。
ヨアシュは、悪女アタルヤがユダ王族を滅ぼす時、命からがらで生き残り、祭司エホヤダの膝元で6年間養われた、唯一の王族でありました(歴代誌第二24:20〜22参照)。
エホヤダがアタルヤを除去した後、ヨアシュは、七歳の時に王となりました。彼は大祭司エホヤダが生きている間には、破損した神の宮を新しくする等、主が正しいと見られることを行いました(歴代誌第二24:4〜14参照)。
しかし、大祭司エホヤダが死んだ後、ヨアシュ王はつかさたちのよこしまな誘惑に乗せられて、ついには父祖の神である主を捨てて、アシェラの木像とその他の偶像に仕え始めました。神様は、彼に預言者を遣わし、悔い改める機会をなんども与えられましたが、ヨアシュ王は聞き入れませんでした。
それで、、神の霊が大祭司エホヤダの子ゼカリヤに臨み、ヨアシュ王の不義を叱りました。ところが、既に心がかたくなになったヨアシュ王は、神様の叱責を無視し、かえってゼカリヤを石で打ち殺しました。まさしく出エジプトの時のパロ王の心のようにかたくなになって、どうしても思い直して悔い改めることの知らないヨアシュ王の罪悪は、結局神様の審きを招いてしまいました。神様はアラムの軍隊を送って、つかさたちをひとり残らず絶滅なさり、ヨアシュ王の命を奪い取られました。
私たちはこの事件から、信仰は初めより終わりがもっと良くなければならない、という教訓を得ることができます。
ヨアシュ王は、最初には正しく、神の宮を修築するほどに信仰が篤実だったのですが、一瞬間、奸臣たちの間違った進言に眩惑され、ついに信仰を失ってしまいました。私たちも、サタンのささやきとか、世俗的な欲に瞬間的に眩惑され、信仰を失うことがある、ということを胆に銘じなければなりません。
ところで、ヨアシュ王のもっと大きい過ちは、神様がご自分の預言者たちを通して叱責なさる時、悔い改めなかった、ということです。ですから、私たちは常に、心が頑なになるとか、主に対して心を閉じたりしないように気を付けなければなりません。
神様の御言葉の前にいつも謙遜で敬虔な姿勢を保つ時、私たちの信仰は堅固になることができるのです。
お祈り
御救いの恵みを施してくださった、父なる神様!
私たちは心から神様に感謝申し上げます。毎日、主である神様の恵みを体験しながら、成熟した信仰の人となって、主の御言葉の上に堅固に立つことができるように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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