■苦難が近づいて来る時
「詩篇 13篇 1節〜6節」 13: 1
主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。 13: 2
いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。
13: 3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。 13: 4
また私の敵が、「おれは彼に勝った。」と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。 13: 5
私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。 13: 6 私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。
人間の人生と言うものは、苦難の森と沼をかき分け、通って行く旅路です。苦難は、誰にでも近づいて来ます。ただ、私たちが苦難にどのように対処するかによって、私たちはより立派な明日を創造することもでき、破滅の断崖に落ちてようにもなります。それでは、苦難が近づいてくる時、私たちはどのように対処しなければならないでしょうか?
第1番目に、苦難に会う時、異常な目に会うのだと考えてはなりません。一般的に、人たちは苦難が近づいてきたらひどく反撥します。しかし、キリスト・イエスの中に居る人たちに苦難は有益であり、祝福の関門になります。なぜかと言えば、苦難は新しい人生を創造する挑戦であり、機会となるからです。
平安な生活の中では、発展と変化がありません。しかし苦難は、私たちがもっと発展的な方向に出て行くことができるように人生の方向を修正してくれます。また、苦難は悔い改めるようにしてくれます。人は自分勝手に、自分の強情通りに生きて行く中で苦難の目にあったら、自我が砕かれ、人格的に角立っている自分の悪い性格を省察し、神様中心に立ち返るようになるのです。
更に、苦難は、信仰的に怠惰であった人が神様にだけ拠り頼むように助けてくれます。ですから私たちは、苦難を、祝福していただける機会であると受け取らなければなりません。
第2番目に、苦難に会う時、神様に対する絶対的な信仰を持たなければなりません。私たちは苦難が近づいてくる時、神様をますます信じなければなりません。信仰は愛をその基としてしています。神様が私たちを愛してくださいますので、私たちは神様を信じることができるのです。
私たちが聖霊充満に与り、神様の愛を直接体験するようになったら、どのような苦難の前でも決して揺るがされることはありません。祝福していただくことだけを求める利己的信仰、聖霊さまの感動なしに機械的に御言葉に対する生ぬるい信仰は、苦難に出会ったら消え去ってしまうのです。
しかし、十字架を通した神様の真実な愛を体験した信仰は、決して消え去ることがありません。ですから、私たちは正しい態度で苦難を克服し、苦難を祝福に変化させる機会としなければならないのです。
お祈り
今も私たちと共に居られる、父なる神様!
私たちには色々な試練と患難が近づいて来ます。私たちが苦難の目に会う時、落胆せず、後ろに退くことがないように助けてください。恨むとか嘆くことがなく、主にあって砕かれ、悔い改めて、変化を受け入れ、神様に感謝しながら、主の御前に出て行き、信仰的に成長する私たちとなるように助けてください。
イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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