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8月24日


■苦難を通して成熟したダビデ

「詩篇 27篇:1節〜4節」
27:1 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。

27:2 悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。
27:3 たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
27:4 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。




ダビデは、イスラエルの王として用いられる前に、長い間サウルから追撃され、生命の脅威を受けるなど、甚だしい鍛錬を経験しました。その中で彼は、霊的により一層、成熟するようになりました。ダビデがそのようになることができた秘訣は何であったでしょうか?

第1番目に、ダビデは艱難の中でも神様の平和を保ち、享受しました。ダビデは絶体絶命の危機の前でも、恐れるとか怖がることがなく、かえって平和と平安を持って暮らしました。彼は、神様が真っ暗闇の中を照らす光であり、自分の救い主であられることを徹底的に信じました。それで、心の慄きとか、恐怖を払い落とすことができました。

慄きとか恐怖とかは、悪魔がもっともよく使用する武器です。恐怖を克服する鍛錬を積み、訓練された人が、ダビデのように大胆なしもべとして用いられるのです。ですから、極度の苦しみに出会うとしても、私たちは、「神様が私の救い主である。」ことを信じて、心の安定と平安を失わないようにしなければなりません。

第2番目に、ダビデは艱難の中でも希望を失いませんでした。ダビデの一つの念願は、生きている間に主の住まいにとどまり、神様とお会いすることでありました。つまり、ダビデの一つの念願というのは、ひとえに神様お一人だけを待ち望みながら、神様に仕えることでありました。

ダビデは、甚だしい苦難を通して、その心の願いが、火の燃える炉で精錬された金のように純潔になりました。もう、世の中での高い地位、名誉、富貴、功名はみな捨てて、ただ神様と交わりながら生きることを最高の価値であると認識したのです。

こんにちも神様は、『ただ、神様だけが私の希望です。ほかのものは何も要りません。』という告白を、神様は私たちから聞きたがっておられます。ですから、患難にぶつかったら、ただちに、『主イエスよりも尊いものはありません!』という心からの告白を捧げてください。そうする時、神様は私たちの患難を偉大な祝福に与ることのできる機会に変えてくださるのです。

第3番目に、ダビデは、神様が守ってくださることと、勝利を得させてくださることを信じて、感謝と賛美を捧げました。ダビデは、自分の敵たちと戦って勝つことによって、神様に喜びのお供え物と賛美を捧げます、と言いました。敵はダビデを滅亡させようとして慄きと恐怖をもって激しく襲いましたが、結果はダビデの勝利で終わりました。

ダビデは、もう恐れではなく、楽しみと喜びをもって主を賛美する人となりました。サタンが恐怖を与えるとしても、主だけを信じて拠り頼む人には、いつも喜びと賛美と感謝が満ち溢れるのです。




お祈り

全能であられる、父なる神様!

ダビデは艱難の中にいながらも平安を享受し、希望を失うことがありませんでした。彼は、神様の御助けを信じて感謝と賛美を捧げました。私たち家族も、イエス・キリストにあって、患難が襲って来ても打ち勝つことのできる、成熟した信仰の人たちとなりますように、助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!