■主に感謝する信仰
「詩篇 66篇:1節〜6節」 66:1 全地よ。神に向かって喜び叫べ。 66:2
御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。 66:3
神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。 66:4
全地はあなたを伏し拝み、あなたにほめ歌を歌います。あなたの御名をほめ歌います。」セラ 66:5
さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。 66:6
神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は川の中を歩いて渡る。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。
こんにち、あまりにも数多くの聖徒さんたちが貪欲と世俗に埋まれて、神様に賛美すべきことを忘れたまま、肉の欲、目の欲、そしてこの世の自慢を追い求めながら、忙しく生きています。私たちがまことの聖徒となるためには、先ず、万軍の主である神様に絶え間なく感謝と賛美を捧げなければなりません。
それでは、私たちが神様に感謝することができる根拠はどこにあるでしょうか?
第1番目に、私たちは、神様が宇宙万物を造られ、私たちを摂理してくださいますので、神様に感謝しなければなりません。神様は、六日間、この世の万物を造られ、最後に、神様のかたちに、ご自身のかたちに似るように人を造られました。そして、人が豊穣でいっぱいのこの世を管理するようになさいました。
私たちは、このような神様の創造の摂理の中で生きているのですから、神様の顧みてくださる恵みがないことには一瞬間も存在することができません。ですから、私たちは無限なる神様の御力とお恵みに感謝しなければならないのです。
第2番目に、神様は、私たちに永遠なる救いのお恵みをくださったのですから、私たちは神様に感謝しなければなりません。「テモテ人への手紙第二1章9節」には、『神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって…。』と記録されています。
それで、使徒パウロは、『キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。』(コロサイ人への手紙3:16〜17)と勧めました。
私たちにとって、死から永遠のいのちに移されたことより以上に、もっと貴重で高価な贈り物がどこにあるでしょうか。これに対して私たちは、いつも神様に感謝しなければならないのです。
第3番目に、神様が毎日、私たちの人生に対して責任を負ってくださり、導いてくださいますので、私たちは神様に感謝しなければなりません。今、この時間にも、神様は、救いを受けた聖徒さんたちを親しく顧みてくださっておられるのです。神様は私たち各々に企業を与えてくださり、季節に従って先の雨と後の雨を与えてくださって、豊かな収穫を得るようにしてくださる、良き神様なのです。
私たちは、このような神様のお恵みを心に深く銘じて、いつも心とからだとまことを尽くして感謝する生活を営まなければならないのです。
お祈り
愛とお恵み豊かな、我らの父なる神様!
宇宙万物を造られ、私たちに永遠なる救いと豊穣な人生にと導いてくださって有り難うございます。私たち家族が皆、これからも神様のお恵みを忘れず、感謝する毎日を生きて行くように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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