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9月12日


■私たちが求めなければならないもの

「詩篇 90篇:13節〜17節」
90:13 帰って来てください。主よ。いつまでこのようなのですか。あなたのしもべらを、あわれんでください。
90:14 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。
90:15 あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。
90:16 あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。
90:17 私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。




私たち人間は、この世の中で何かを追求しながら日々を生きています。学者は学問を、政治家は権力を、事業家は財貨のために、昼もなく夜もなく身を削る努力をします。それは、人々が自分が追求するものから人生の意味と目的を捜そうとするからです。しかし、永遠ではないこのようなものの終局は、虚無と無意味です。それでは、人生が求めなければならないまことのものは何でしょうか?

第1番目に、私たちは神様の憐れみを求めなければなりません。人間は、神様の憐れみなしには生きていけない存在です。なぜなら、人間が犯した罪によって死が近づいて来ました。また、人間が自分一人の力では生きて行くことができないからです。

このような絶対絶望の中にいる私たち人間のために、神様は、道であり、真理であり、命であられるイエス様をこの地に遣わしてくださいました。これからは、イエス様を信じて、神様の御国の民となった私たちが求めなければならないことは、イエス様を通した神様の憐れみです。

第2番目に、私たちは主の慈しみで私たちを満足させてくださるように、祈り、求めなければなりません。人々はこの世の中でまことの満足を求めようとしますが、世の中で得られるものは一時的なものなので、人間を満足させてくれることができません。なぜなら、人間は本来、永遠を乞い求める存在であるからです。

このような人間に向かって、イエス様はまことの満足の道を開いてくださいました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書7:37〜38)。ですから、私たちは毎日の生活の中で、主の慈しみで私たちを満足させてくださるように祈り、求めなければならないのです。

第3番目に、私たちは、私たちの人生の中に神様の御心が現れるように祈り求めなければなりません。私たちクリスチャンたちがこの世の中を生きていく時、必ず注意しなければならないことは、神様の御心を正しく求め、その御心の通りに生きて行かなければならないことです。

私たちが求める神様の御心は、聖書に記録されています。そして、聖書を通した神様の御心は、私たちがイエス・キリストを信じて救われ、神様に栄光をお帰しする人生を生きることです。

私たちが神様に栄光をお帰しする道は、私たち各自が、自分が置かれている自分の立場から、神様が与えてくださった職責と才能に従って最善を尽くし、世の光と塩の役割を果たすことです。ですから、私たちはこのために熱く祈らなければならないのです。




お祈り

主であられる、われ等の父なる神様!

命の御霊のお恵みによって私たちを救ってくださり、道と真理と命であられるイエス・キリストへと、毎日導いてくださって有り難うございます。いつも神様の御心に従って勝利する、貴重な人生を生きるように、これからも導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!