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9月26日



■感謝と報い

「詩篇 135篇 1節~4節」
135: 1 ハレルヤ。主の御名をほめたたえよ。ほめたたえよ。主のしもべたち。
135: 2 主の家で仕え、私たちの神の家の大庭で仕える者よ。
135: 3 ハレルヤ。主はまことにいつくしみ深い。主の御名にほめ歌を歌え。その御名はいかにも麗しい。
135: 4 まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。




「詩篇135篇」は、神様の恵みに対する賛美で満ち溢れる詩です。こんにちのように、情け知らずで、非情な現実の中で私たちクリスチャンたちがお互い理解し、感謝しながら、恩に報いる美徳を持とうと努力する時、この社会をより温かく、人情が溢れる世の中に変化させることができます。それで、今日は私たちが忘れてはならない感謝と報いの生活についていくつか考えてみようと思います。

第一番目に、恩を受けていながらも、それに対して無関心な人がいます。「恩は水に刻み、恨みは石に刻む。」と言うことわざがあります。これは、人々が恩を受けたことは簡単に忘れてしまい、恨みはいつまでも心に抱く、という意味です。人々は、父母が施してくれた愛と恩を簡単に忘れてしまい、他の家庭の子供たち施して貰えなかったことだけを覚えて生きて行くこともあり、兄弟の間でお互いに愛を施し、その恩を記憶するよりは、お互いに冷たいと不平を言う場合がもっと多いです。

それだけではなく、師匠や友人、隣人の恩を受けていながらも、背を向けたらすぐに忘れてしまう人が少なくありません。

第二番目に、恩を受けていながら、かえってそれを仇で返す人がいます。その代表的な人物がイスカリオテ・ユダです。彼は3年半の間イエス様に仕えながら、財政を担当するほどに、主の愛と信頼を受けましたが、決定的な瞬間が来るや、主を銀貨三十枚で売ってしまいました。イスカリオテ・ユダは、主の恩を仇で返したのです。恩を仇で返す卑劣な人々は、昔から数多く存在してきました。このような卑劣な行動は、他人から助けられた、という劣等意識から始まるものです。このような劣等意識を消し去ろうとして、恩を施した恩人を非難し、攻撃する人々のために、私たちの人生が索漠なものとなっていくのです。

第三番目に、感謝報恩の人生を生きる人々がいます。恩を受けたことをいつも覚えていて、その恩に報いる人は学識と年齢に関係なく、偉大で、高尚な人生を生きる人です。私たちはまず、父母の恩に報いる人にならなければなりません。そして夫婦の間でも、お互いの愛に感謝しながら、その恩に報いる姿勢を保たなければなりません。

このように、各自の人生の中で感謝と恩に報いることを実践する時、より明るく、明朗な社会が成されていくのです。





お祈り

素晴らしい、われ等の父なる神様!

賛美と感謝を捧げます。限りない恵みと愛と救いを施してくださり、有り難うございます。神様の恩を忘れることがないようにしてくださり、いつも感謝しながら生きるように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!