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■答えていただく祈りの秘訣
「エレミヤ書 15章 1節~2節」
15: 1 主は私に仰せられた。「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしはこの民を顧みない。彼らをわたしの前から追い出し、立ち去らせよ。
15: 2 彼らがあなたに、『どこへ去ろうか。』と言うなら、あなたは彼らに言え。『主はこう仰せられる。死に定められた者は死に、剣に定められた者は剣に、ききんに定められた者はききんに、とりこに定められた者はとりこに。』
本文(奉読個所)は、主の御名と契約の御言葉を上げて、民たちに慈しみを施してくださいと祈ったエレミヤの3回目の執り成しの祈りに対する御答えです。人間的に見たら、謙遜な姿勢で祈っていたエレミヤの祈りに対する御答えは、肯定的な結果をもたらさなければなりません。ところが、悪を認めない、公義の神様は、2回目の御答えよりももっと具体的に審きを宣言なさいました。
なぜなら、民たちの不信仰と悪の行いが絶頂に至ったので、赦しと恵みを施してあげるにしても、結局、彼らはまた他の審きを自ら招くことが明らかであったからです。それで神様は、民たちの代わりに捧げるエレミヤの祈りから目をそらされたのです。これは、祈る人の間違いによるのではありません。
神様は、モーセとサムエルのように仲裁に優れた、このような人たちが祈ったとしても答えて上げなかったであろうと言われました(15:1)。義の人が祈り求めることであっても、いくら力ある人の祈りであっても、それが、彼らの意思のままに神様を操縦する道具になることはできません。全ての人たちが自分たちの罪から立ち返らなければなりません。
もしも、立ち返ることを拒むとしたら、いくら祈っても神様の公義の審きを免れることはできません。それで、もっとも賢明な祈りは、人々が各々の罪を悔い改め、神様に立ち返るようにしてくださいと祈ることです。そうしてこそ、彼らが罪の赦しを得ることができるのです。
ユダの民たちは、彼らの道から主に立ち返りませんでした。神様は、これを神様に敵対することであると見なされました。神様に従順に聞き従わないことは、神様と何の関係も持つことができないと言う意味であるからです。結局、神様は彼らから慈しみと憐れみを取り上げられました。彼らを敵の手によって滅びるように捨て置かれたのです。
神様が、ご自分の民たちに慈しみを施してくださる時は、それは条件的なのです。つまり、彼らが自分たちの罪から主の許に立ち返る時だけ、慈しみを施してくださるのです。
ですから、私たちが御答えをいただく祈りを捧げるためには、必ず私たちの罪を先ず悔い改めた後、神様の御心に従って祈り求めなければならないのです。
お祈り
素晴らしい、我らの父なる神様!
私たちが罪の中でいくら切なる祈りを捧げるとしても、悔い改めないことには、その祈りには答えていただけないことを悟るようにしてくださって有り難うございます。いつも、私たち家族たちがすべての罪を悔い改めて、慈しみを施してくださる神様の憐れみを得、まことの道に歩むように助けてください。
イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!
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