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11月8日



■苦しみに会う時

「エレミヤ書 20章 1節~3節」
20: 1 祭司であり、主の宮のつかさ、監督者であるイメルの子パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。
20: 2 パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。
20: 3 翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき、エレミヤは彼に言った。「主はあなたの名をパシュフルではなくて、『恐れが回りにある』と呼ばれる。




エレミヤは、様々な辱めと苦しみに会いながらも、滅び行く祖国に向かって神様の御言葉を涙を流して訴えながら、主の許に立ち返るように叫び呼ばわった涙の預言者でありました。私たちは、エレミヤのように世の中で苦しみに会う時、果たしてどのような姿勢を持たなければならないでしょうか?

まず、私たちは苦しみに会う時、イエス・キリストを見上げなければなりません。イエス様は神様のひとり子として、栄光と尊敬を受けるべき方です。しかし、イエス様は罪の奴隷となった人間たちを救おうとして、罪もなく十字架の上で苦しみと辱めを受けられました。

それに対して「ピリピ人への手紙2章7節~8節」に、『ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。』と記録されています。ですから、私たちは苦しみに会う時、あらゆる苦しみに打ち勝たれたイエス・キリストを見上げながら、勝利しなければならないのです。

また、私たちは苦しみに会う時、聖霊様の御助けを祈り求めなければなりません。神様は、私たちが苦しみに会う時、その苦しみに充分に打ち勝つことができるようにするために、助け主・聖霊様を遣わしてくださいました。「ローマ人への手紙8章26節」に、『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』と記録されています。

ですから、私たちは苦しみに会う時、私たちを助けてくださる助け主・聖霊さまを認め、歓迎し、迎え入れ、拠り頼んで、苦難を克服しなければならないのです。

更に、私たちは苦しみに会う時、神様の御言葉の上に堅固に立たなければなりません。神様は、世を水をもって審かれる前に、ノアに箱舟を作るようになさいました。それはノアをして環境を見つめず、ひとえに神様だけを見つめるようにするためでありました。その結果、ノアの8人の家族はみんな洪水の審きから救われることができました。

このように、私たちも苦難を克服するためには、御言葉を通して天の窓だけを見上げなければなりません。神様の御言葉は、天が崩れ地が消えることがあっても、一点一画も変わりません。

従って、私たちは苦しみに会う時、人間の運命を主管なさる神様の約束の御言葉に取りすがり、堅く拠り頼まなければならないのです。





お祈り

苦しみの中でも共に居てくださる、我らの父なる神様!

私たちが願わなかった意外な苦しみに会う時があります。そのような時、私たち人類のために十字架の上で苦しみに会われたイエス様を見上げるように導いてくださり、聖霊様の御助けを祈り求めながら、神様の御言葉の上に堅固に立って、すべての苦難に打ち勝つ私たち家族となるように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!