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11月19日



■信仰の敵たち

「哀歌 1章 1節~2節」
1: 1 ああ、人の群がっていたこの町は、ひとり寂しくすわっている。国々の中で大いなる者であったのに、やもめのようになった。諸州のうちの女王は、苦役に服した。
1: 2 彼女は泣きながら夜を過ごし、涙は頬を伝っている。彼女の愛する者は、だれも慰めてくれない。その友もみな彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。




モーセの導きの下にエジプトの束縛から解放され、乳と蜜の流れる約束の地カナンに入ったイスラエルの民たちは、神様が聖絶せよと命じられたカナンの部族たちをみな追い出さなかっただけでなく、却って彼らと妥協しながら生活した結果、彼らと同一の偶像崇拝に溺れて、滅亡されました。私たちの信仰生活も、これと同様です。それでは、私たちをつまずかせる信仰の敵たちは何でしょうか?

第1番目に、貪欲です。人は誰もが、欲望を持って生きて行きますが、この欲望が度を越えるようになったら、貪欲になります。ちょうど人間の体にある細胞が正常から異常に転じたらガンとなり、全身を破壊してしまうのと同じく、貪欲も人間の人生を破滅させてしまいます。

さらに、貪欲は決定的に人間と神様との間を断ち切ります。聖書に、「むさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」(コロサイ人への手紙3:5参照)と記録されています。度を越した欲の人は神様から見捨てられて人生のすべてを失い、破滅の目に会うようになるのです。

第2番目に、淫乱と放蕩です。淫乱は、神様の聖殿である自分の体に犯す罪です。クリスチャンたちの体は、イエス様が血を流して贖ってくださった聖殿でありますので、この聖殿を汚したら神様から捨てられるようになるのです。

ところが、淫乱と放蕩は人たちをたやすく誘惑します。大部分の人たちが、物質的に余裕が生じたら放蕩に落ち込んで快楽を追い求め、終局には道徳的破綻に至ってしまいます。従って、道徳的な基礎のない富貴と栄華は、却って人を破滅に追い込む毒素となることもあるのです。

第3番目に、偽りです。人が目の前の利益のために他人を欺いたら、その時は利益を得るかも知れませんが、信頼を失って結果的には不信されるようになります。偽りの品性の根本は、悪魔です。悪魔は偽りの親であり、人を盗み殺し滅亡させます。このような悪魔に捕われた人たちは、その偽りによって終局には悪魔と共に地獄に落ち込んでしまいます。

私たちが人生を生きながら嘘を言う場合がありますが、このようなことたちは私たちの信仰生活にあって、致命的な敵となることを胆に銘じて、悔い改めた後、断固として撃退しなければならないのです。





お祈り

生きて居られる、我らの父なる神様!

私たちの心と生活の中に不信仰の要素がいかに多いことか知れません。信仰生活を妨害する貪欲と、淫乱と放蕩と偽りをすべて私たちから取り去らせてください。そして、主の聖殿としてくださった私たちの体が聖くなるように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!