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12月1日



■我らの牧者であられる神様

「 エゼキエル書  34 章: 11 節~ 14 節 」
34:11 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
34:12 牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
34:13 わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
34:14 わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。




今日は本文(奉読個所)を通して、神様が果たして信じる人たちにどのような牧者となってくださるのかを教わることによって恵みを分かち合いたいと思います。

第 1 番目に、神様は、私たちのまことの牧者であられます。この世に棲息している数多い獣たちの中には、牧者がいて顧みてあげる獣があるかと思えば、牧者がなしに自ら生きて行く獣もいます。それで私たちは、人が飼っている獣を“家畜”と呼び、そうでない獣は“野生動物”と呼びます。

これと同じく、この世を生きている人も、牧者であられる神様に所属された人がいるかと思えば、自分勝手に生きて行く人がいます。自分勝手に暮らす人は、自身の人生を自ら責任を負わなければなりません。しかし神様に所属されている人は、神様が親しく緑の牧場に導いてくださり、最後まで顧みてくださいます。ですから私たちは、神様を私たち人生の牧者としてあがめ、神様の憐れみとお助けをいただく人生を暮らさなければなりません。

第 2 番目に、神様は、私たちのお導きとなられます。たとえ、私たちの間違いで私たちが死の陰の谷を歩くことがあっても、牧者となられる神様は、私たちをそのまま捨て置かれることはなさいません。ご自分の鞭と杖で私たちを正しい方向に導いてくださるのです。

しかし、私たちが神様のお導きに従順に聞き従わなかったら、神様は御手の杖で私たちを打たれます。それで、私たちの体が病気に罹ることもあり、生活に困苦が押し寄せることもあります。ですから、私たちは牧者となられる神様の御前に間違いを犯したことを悔い改めて、いつも神様の保護とお導きをいただく人生を暮らさなければなりません。

第 3 番目に、神様は、私たちの御救いとなられます。私たちがこの世を暮らしながら敵の攻撃をすべて払い除けることはできません。私たちがいくらしっかりと準備していても、敵悪魔は私たちを盗み、殺し、滅亡させようとして執拗に攻撃して来るからです。しかし、このような時、神様は敵が願うこととは正反対に、敵の前で私たちにご馳走をほどこしてくださいます(詩篇 23 : 5 )。

ですから、私たちは悪魔の攻撃を受けて破滅の沼に落ち込んだと思われる時にも、環境を見つめて恐れてはなりません。私たちが難しい目に会う時、ただ主である神様だけを見つめたら、私たちは敵の前で食事をととのえていただく勝利の人生を生きるようになるのです。





お祈り

まことの牧者となられる、 我らの父なる神様! 今日も、私たちを緑の牧場に伏させ、憩いの水のほとりに伴ってくださって有り難うございます。今後とも、私たちを死の陰の谷の中から救ってくださり、永遠なる勝利の御国に入って行けるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!