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12月15日



■原因があれば結果がある

「アモス書 3章:3節~8節」
3:3 ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。
3:4 獅子は、獲物がないのに、森の中でほえるだろうか。若い獅子は、何も捕らえないのに、そのほら穴から叫ぶだろうか。
3:5 鳥は、わながかけられないのに、地の鳥網にかかるだろうか。鳥網は、何も捕らえないのに、地からはね上がるだろうか。
3:6 町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。
3:7 まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。
3:8 獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。




本文(奉読箇所)を通してでアモスは、神様がイスラエル民族の罪に対して報いられるであろうと宣言しながら、このような報いには、確かな原因があることをいくつかの比喩を挙げて確認しています。この記事を通して、私たちが得ることのできる教訓は次のようです。

第1番目に、結果には、必ずそれにふさわしい原因があると言うことです。本文は、この世の出来事には決して偶然がない、と言うことを確かに指摘しています。すなわち、獅子は獲物がないと、決して森の中でほえることがなく、鳥網(わな、網)を地にかけないことには、決して鳥を捕らえることができず、神様が下されなければ、決して町にわざわいが起こることがない、と言うことです。

第2番目に、神様の懲らしめは、不従順から来ると言うことです。神様は、ご自分のはかりごとをなさる時には必ず、先ずご自分のしもべ、預言者たちに示された後になされます(7節)。神様が私たちを懲らしめられる時も、同様です。神様は私たちを懲らしめられる前に、神様に従順に聞き従って祝福を受けるように、まず機会を与えてくださいます。それは1回だけではなく、数回にわたって機会を与えてくださいます。しかし、私たちがその度毎に不従順したら、結局、神様は懲らしめのむちを振り上げられるのです。この地に臨むすべてのわざわいは、神様が下される懲らしめの鞭であることを、本文は明らかに記録しているのです。

第3番目に、私たちはこの世で暮らしながら、天の御国に報酬を積み上げて置く人生を生きなければならない、と言うことです。この地上での人生は、旅人と居留者のような人生です。この世での生活が価値があり、意味があるものになるためには、天の御国に報酬を積み上げる人生にならなければなりません。この世で、個人の富貴栄華、人気と名誉、権威と地位をいくら享受しながら生きるとしても、それが天の御国に報酬を積み上げる道具とならない時には、かえって自分を破滅の泥沼に追い込む死の馬車になってしまいます。

たとえ、この世でほかの人々が享受する人間的な幸福と安楽を享受することができず、人たちが食べるものを食べることができず、人たちが着るものを着ることができず、人たちが行く所に行って見ることができないとしても、天の御国への希望を抱き、天の御国のために献身した人は、あの世で想像することのできない大きな報酬を受けるようになるのです。ですから私たちは、天の御国のために、この世で素晴らしい種をたくさん蒔く人生を生きなければならないのです。





お祈り

全能なる、我らの父なる神様!

全ての出来事の結果には、確かな原因があると言うことを悟りました。私たちが、立派な結果を得るために罪を遠ざけ、素晴らしい種をたくさん蒔いて、天の御国に想像することのできない報酬を積んで置く、知恵深い人生を過ごすことができるように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!