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12月29日



■恵みと哀願の霊を注ぐ

「ゼカリヤ書 12章10節~11節」
12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。




今日の本文(奉読箇所)は、神様が預言者ゼカリヤを通して、未来に臨むはずのエルサレムの救いに関して宣布なさった御言葉です。その救いは、神様がダビデの家とイルサレムの住民たちに、恵みと哀願の霊を注ぐ、と言うことです。こんにちのダビデの家とイルサレムの住民たちとは、イエス・キリストを救い主として受け入れて神様の子となった、私たちクリスチャンのことです。ですから、この御言葉は私たちにも等しく適用されるのです。

先ず、神様は、私たちに恵みを注いでくださる、仰せられました。恵みとは、代価なしに与えてくださる恵みの賜物です。この「恵み」に対する具体的な意味は、次の御言葉によく現れています。『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』(詩篇103:2~5)。

神様が、私たちに代価なしにただで与えてくださる賜物は、罪の赦しの賜物、癒しの賜物、守りと導きの賜物、祝福の賜物、願いの成就の賜物なのです。

また神様は、私たちの上に哀願の霊を注ぐ、と仰せられました。神様が私たちのために備えられたすべてのものは、ひとえに祈りと哀願を通していただき、享受することができるのです。聖書に、『バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。』(マタイの福音書11:12)と記録しています。それでは、私たちがでどのようにして、天の御国を激しく攻めることができるでしょうか?

それはまさに、祈りと哀願を通して可能なのです。祈りと哀願は、敵悪魔の陣を撃破し、神様の御座を揺り動かし、神様の御手を動かすことがができる、もっとも強力な道具です。聖霊様も、私たちの祈りと哀願を通してみわざを働かしてくださいます。私たちが聖霊で充満になる時、聖霊様が私たちの心に祈りと哀願の霊を注いでくださって、私たちが天の御国を激しく攻め、神様の恵みをいただくことができるようにみわざを働かしてくださるのです。

ですから私たちは、神様が私たちに恵みを与えように願っておられる、と言うことを常に覚えて、祈りと哀願を通して天の御国を激しく攻めることによって、主の恵みをほどこしていただかなければならないのです。





お祈り

良いもので満たしてくださる、我らの父なる神様!

私たちの心の上に聖霊を注いでくださり、祈りと哀願によって天の御国を激しく攻めることができるようにしてくださって有り難うございます。代価なしにいただいた恵みをいつも覚えて、感謝しながら、勝利の毎日を過ごすことができるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!