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12月30日



■私たちを練られる理由

「ゼカリヤ書 13章 8節~9節」
13: 8 全地はこうなる。─主の御告げ─その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。
13: 9 わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。




今日の本文(奉読箇所)を通して、神様は全地の人々の中で、その三分の二を断ち、それらは死に絶ち、三分の一を火の中に入れ、銀を練るのように彼らを練り、金をためすように彼らをためそう、と仰せられました。この三文の一は聖徒たちを意味するのですが、神様がこのように私たち信じる聖徒たちを練られる理由は何でしょうか?

第1番目に、信じる者たちの信仰と希望を純潔なものにし、強くするためです。神様に対する私たちの信仰は、御言葉を聞くことによって生成され、育ちます。しかし私たちの幼い信仰には、まだ人間的で世俗的な不純物が混じっていて、このような信仰では、神様から喜んでいただくことができないだけではなく、世俗に勝つこともできません。

成熟した信仰の人となるためには、人間的で世俗的である不純物が取り除かれなければなりませんが、これはひとえに練られ、試練を通してだけ可能なのです。私たちの信仰が練られ、試練を通って、そして純金のように純潔になり、堅固になる時、それは生きた信仰となって神様から喜ばれ、世俗に勝つ立派な信仰になるのです。

第2番目に、ついには、私たちに祝福を与えてくださるためです。神様は、私たちに天の霊的祝福と、地の油注がれたもので祝福して上げようと願っておられます。しかし私たちが、神様の御前で高ぶり、自我が生きている時には、神様の祝福をいただくことができません。それで神様は、私たちに火と水を通るようになさり、私たちの高ぶりと自我を砕かれます。これに対して「詩篇66篇12節」は、『私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。』と記録しており、「申命記8章16節」には、神様が私たちを練られる理由を、『あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。』と記録されているのです。

第3番目に、私たちを通して、主の御心を成就なさるためです。私たちの自我が砕かれ、神様の御前にへりくだり、低い姿勢で謙遜に、従順にならない限り、決して神様の道具として用いられることはできません。アブラハムが神様の御心を成就するのに、25年と言う歳月がかかり、ヨセフも神様の道具として用いられるまで、13年間と言う、練られる時間、試練の過程が必要でありました。モーセは、40年と言う長い間、荒野で練られ、試練を受けた後に神様の御心を成就する道具となりました。

ですから私たちが、火のような試練と、試みを受ける時、それが私たちを用いられるための神様の摂理であることを悟り、忍耐をもって通過しなければならないのです。

神様の試練と試みは、苦しく、つらいことですが、それが与えてくれる有益は遥かにもっと大きく、貴重なものなのです。ですから私たちは、練られ、試練の中に置かれた時には感謝しながら、忍耐して、勝利を博する聖徒さんたちとならなければならないのです。





お祈り

愛であられ、全能なる、我が父なる神様!

練られ、試練を通った私たちに、天の霊的祝福と地の油注がれたもので満たしてくださる神様の恵みに感謝申し上げます。どのような試練と試みが押し迫って来ても、ついには祝福してくださる神様を見上げながら、感謝し、忍耐する我が家族たちとなりますように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!