■神殿の基礎
「エズラ記 3章:10節〜13節」 3:10
建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはシンバルを持って出て来た。
3:11
そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。
3:12
しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
3:13 そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。
神様は、ペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせて、イスラエルの民たちを生まれ故郷に帰還するようになさいました。しかし、彼らは回りの国々の民を恐れて、敢えて主の神殿の礎を据える計画さえも立てられない状況でありました。それで、大胆な信仰を持っているゼルバベルとヨシュアをはじめとして、祭司たちとレビ人たちが立ち上がり、神殿の礎を据える大工事を始めました。今日の本文(奉読箇所)は、このように建てられた神様の神殿が、果たして何に基づいているのかを暗示しています。
まず、主の神殿の礎(基)が据えられる時、祭司たちとレビの子たちが、神様を賛美したと記録されています。『そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ』(3:11)。
ここで私たちは、神殿の礎が神様のすばらしさと慈愛のうちに据えられているのを見ることができます。これと同じように、私たちがイエス・キリストの中で新しい人生を始める時、その礎は私たちに向かっている神様のすばらしさと慈愛です。神様のすばらしさと慈愛が私たちの信仰と人生の礎となって、一生の間、私たちを導いていくのです。
それで、ダビデは『まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう』(詩篇23:6)と告白したのです。
次に、『しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。』(3:12)と記録されています。老人たちは、最初の宮に比べて、2番目の宮のみすぼらしさを見て大声で泣きましたが、青年たちは神様のすばらしさと慈愛を初めて味わったので喜びました。
私たちが神様のすばらしさと慈愛を味わい、知る時、初めて私たちのたましいに感激と喜びが満ち溢れるようになるのです。
お祈り
すばらしく、いつくしみ深い神様!
私たちが毎日、賛美と感謝で、天の御国に向かって礎の石を据えるようにしてくださり、これを通して、私たちのたましいが神様による感激と喜びで満ち溢れるように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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